「小林さん、髪をペタッとさせない方がいいですよ。ヘルメットをかぶったみたいな感じで、カツラっぽく見えますから」、技術者の人にときどき指摘されます。僕だって髪を逆立ててふわっとさせたいんだけど、ついつい髪を撫でつけてしまって、ボリューム感をうまく出せないことがある。どうしたらいんでしょう?
その質問を投げかけたら、スヴェンソン上野スタジオの技術担当チーフ・吉田さんが「良い方法がありますよ」と、僕にもできる秘技を教えてくれました。
その方法とは、「髪を洗ったあとドライヤーで乾かすときに、ドライヤーの筒の部分を左手で握っちゃうんです。頭を下げて、頭の真上からドライヤーを当てて、一回髪を前の方に流しながら乾かすんです」「でも、そうすると坊ちゃんスタイルみたいな、髪が前に降りて変でしょう?」「いいえ、そのあとに後ろに流してやるんです。一度前に流すことで根本が前に倒れます。それを起こすようにして後ろにやることでそこにふわっとボリュームが出るでしょう」。なるほど、最初から後ろに流すと根本から倒れるからペタッとする。一度前に倒しておけば、その分、髪が立った感じでセットできるというわけだ。
自宅に戻って翌朝やってみた。「先を持ちすぎてやけどはしないように」と注意された通り、真ん中へんを持つ。僕が使っているのはスヴェンソンのスタジオで買ったイオン・ドライーだけど、筒を握っても意外と熱くないもんだ。途中の坊ちゃん顔にはちょっと照れるけど、前に流してから後ろに梳かすとたしかにお洒落っぽい感じでセットが決まる。もう何度かやって慣れたせいもあるけれど、吉田さんのアドバイスに従ってから、髪を洗ってセットするのが楽しみになった。ブワーッとドライヤーを当てるよりちょっと乾くのに時間がかかる気はするけれど、セットは自動的に決まる確率が高くなった。
カツラ情報を発信し始めて3年半。少しはカツラをめぐる世間のイメージも変わりつつあると思いますが、根本的な状況はまだ変革できていません。「薄毛」に悩む人たちが、不自由なカツラを買って今度は「カツラの悩み」を抱え込むような状況を一日も早く解消したい。そのために「良いモノは良い!」、もっと声を大にして体験情報を発信しなければならない。真剣に自問自答を重ねた末、ひとつの決断をしました。
これまでは、カツラ・メーカーとは一線を引いて、独自の活動だけをしてきました。それは、「スヴェンソンと関係があるなら、あなたの情報は中立じゃない、作為的で信用できないものになる」みたいな書き込みやメールがしばしば届くことへの配慮もあったからです。僕の発信が「誇張に満ちた宣伝文句」ならそうなります。けれど、企業と協調したからと言って、自分の素直な実感、体験や取材に基づいた事実だけを発信する姿勢を貫けば問題はない、信頼できるメーカーと協調することでいっそう多くの「悩める人々」に幸福な情報が届くなら、その方が本来の目的に沿っています。そこで僕は、スヴェンソンの求めに応じて、彼らの広報に協力するのも大切な活動のひとつと感じるようになりました。
但しもちろん、僕はどのメーカーにも属さない「フリーランスのカツラー」です。他のカツラ情報を引き続き収集し、他のメーカーから協力依頼があれば前向きに対応します。僕の目的は「スヴェンソンの製品」ではなく、「快適で自然なカツラを普及し、明るいカツラー環境を高めること」です。いまはそれに叶うメーカーがスヴェンソンのほかになかなかないのが残念なところです。スヴェンソンを越えるレベルで信頼に足るメーカーが増えるのは大歓迎です。本気で企業体質を改善し、一層の自然さと快適さを求め、顧客本位のサービスに転換したいと志すメーカーがあれば、僕は喜んで協力させてもらいます。
単行本やBBS等で「スヴェンソンは本当にいいよ」と言えば言うほど、僕がスヴェンソン社と「何か関係があるから言うんだろう」と詮索する声がときどき寄せられます。そう考える気持ちもわかりますが、僕がスヴェンソンを強く薦める理由は明快です。自分が使って、本当に自然で快適。その前に使っていた不自由なカツラ地獄から抜け出した感謝・感激が半端じゃないからです。スヴェンソンを使い始めてもう7年目になります。カツラの着用を普段はまったく忘れているし、カツラを理由に行動を制約されたり、不安を感じることがほとんどありません。
以前使っていたアデランスのカツラとは天と地の違い。スヴェンソンに替えて本当に楽になった、明るさや行動力を取り戻しました。屋外の取材も平気でできる、子どもと一緒にプールだって入れる。同じカツラでありながら、こんなにも使い心地や開放感が違うとは、おそらく大半の人が想像しないでしょう。他の商品を思い浮かべても、メーカーによってこれほど差のある商品はなかなか思いつきません。発売当初の携帯電話各社の電波の入り具合だって、これほどの差じゃありませんでした。顧客対応も180度違います。何とか一個でも多く買わせようとする大手の商法と、顧客の判断を尊重してくれるスヴェンソン。その安心感には格段の差があります。格段というより、イエスかノーか、「これからも付き合いたい」か「もうたくさん」か、そういう次元です。この実態がわからない人は、僕が何らかの利益を与えられてスヴェンソンの肩を持っていると決めつけますが、そういう発想自体が、真実を見る眼差しを失っている気がします。「良いものは良い、ダメなものはダメ」、はっきり伝えるのが表現者の使命です。僕は作家として、カツラーとして、体験や取材に基づいた情報をいっそう精力的に発信し続けます。誰かが信頼に足るカツラ情報を継続して発信しないと、いつまでも大量の宣伝に惑わされて生まれるカツラーの苦悩が解消されません。それは切実で現実的な社会問題です。