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連載コラム プロフィール 小林信也の仕事 カツラーの部屋 今日のお知らせ
今日のお知らせ
 
不要になったグローブを寄贈してください 2017/10/18
11月に、アジアから日本に研修旅行に来る方々の「野球体験」をお手伝いすることになりました。グローブが80個必要です。12月には毎週、小学生を対象とした東京武蔵野シニアの体験会と野球教室も予定しています。こうした際に利用させてもらえるグローブを求めています。使わなくなったグローブがあったらご連絡ください。できれば、中古美品でお願いします。nobuya@s-move.jp
野球の力 2017/10/14
☆このコラムのBGMは森山直太朗の《さくら(独唱)》です。

 43年前の今日(10月14日)、長嶋茂雄が引退した。僕は高校3年生だった。野球に疲れ、大学で続ける気はもう一切なかった。
 学校から急いで帰り、テレビにかじりついた僕の目に飛び込んできたのは、ハンカチを顔に押しつけ、苦しそうに顔をゆがめてグラウンドを一周する長嶋だった。長嶋が涙する姿を初めて見た。やがて、暗く沈んだダイヤモンドの真ん中でひとりスポットライトを浴び、語り始めた。そして、「我が巨人軍は永久に不滅です!」と叫んだ。
 消えて行く背番号3を見送りながら、身体の芯から震えが来た。
(野球をやめていいのか !? )
 大嫌いな鬼監督によって疲れ果て、野球そのものが嫌いになっていた。
(僕の中にはまだ燃えるものが残っているんじゃないのか?)
 体力の限界を悟って引退する長嶋に申し訳ない、自分にはまだやれる18歳の肉体がある。長嶋に教えられた感動と昂奮に恩返しするために、大学で野球を続けようと決意した。
 甲子園とか、今度は神宮の星になる、とか、そんなんじない。
(“野球”が好きなんだ。もう一度、僕の大好きな野球がやりたい!)
 その日から、猛勉強を始めた。大学で野球をやるために。
 結局、大学ではすぐ野球をやめてしまった僕が、なぜいま中学野球の監督をしているのか。
 僕の好きな野球が、日本のどこにもなくなっている。“無農薬”、“自然栽培”のアマチュア野球はほとんどない。高校野球を権化に、中学野球も学童野球も大学野球や社会人でさえ、監督が君臨支配し、戦前の封建主義をいまだに残す野球界が息苦しい。野球を志す少年や親たちは“甲子園出場”という憧れに幻惑され、普段は持っているはずの冷静な判断力や自尊心を、“野球で負けたくない”という単純なマインドコントロールに操られてしまう。
 野球はもっと自由であるべきだ。
 音楽はいいな。
 さくら(独唱)は、森山直太朗が大学時代、悩んだ末にサッカー部をやめ、音楽の道を歩む決心をした、裏切る形になったサッカーの仲間への思い、自らの決意を込めた歌だという。
 勝ち負けを超越している。一人ひとりが人生という荒波に立ち向かい、自然災害や様々な理不尽に行く手を阻まれ、それでも歩みを続ける。歌は自分と向き合い、戦い続けるすべての挑戦者に勇気とエールを注ぐ。一緒に歌い、聴く人すべてが感動し、揺さぶられている。
 今の野球にこれだけの力はあるだろうか? 
 プロ野球選手の志も、誰かよりすごいという次元でなく、「見る者を震わせ、感動させ、涙させ、そして笑顔にする者であること」であってほしい。ただ、打った、勝った、すごい、だけでは足りない。
 野球をもう一度、感動の原点に戻したい。もっと豊かに発展させたい。野球にも一個の球をめぐって、すべての人の心にポジティブな衝撃波を巻き起こす“アート”の力がある。
 東京武蔵野シニアが目指すのは、感動の発信源。いろいろな立場で野球を愛し、その愛を発信する人材たちを育む舞台。そして、巣立った野球少年たちが大人になって、いつでも戻って来られる故郷であり、人生の“虎の穴”であり続けたい。
 野球には、人々の心をピュアにし、奮い立たせる活力がある。

☆この文章は、東京武蔵野シニア球団公式HP「監督コラム」に掲載されています。よろしかったら、そちらもごらんください。
https://tokyomusashinoseni.wixsite.com/mysite/blank-3
FRISBEE スピリット 2017/10/11
 僕が他の野球チームの監督と少し違うのは、元々の性格に加えて、フリスビーの経験が大きいと思う。大学時代、人気雑誌《ポパイ》で連載コラムを書かせてもらっていた僕は世間から「フリスビーの小林クン」と呼ばれていた。
 フリスビーにのめりこんだのは、放物線が当たり前のボールと違って、まるでUFOのように、地面すれすれから浮かび上がり、どこまでも飛んでいきそうなフリスビーの浮遊感に魅せられたからだ。
 高校時代、憧れて入部した野球部は想像とまったく違う側面を持っていた。厳しさは覚悟していた。だが、実際に苦しめられたのは、練習量や体力的な厳しさでなく、「心の自由」を奪われる辛さ、自由な時間がほとんどない日常生活だった。
 自宅に戻って夕飯を食べ、自主トレのランニングに出かけ、お風呂に入り、疲れて眠る毎日。練習が始まれば、心の自由は抑えつけられた。僕が野球を好きなのは、自分の中でインナーゲームを楽しむことだったと気づかされた。鬼と呼ばれた監督は、そんな楽しみを解さない、僕が好きな野球と、監督が強いる野球には大きな開きがあった。それでも従順な僕はもちろん監督に従ったし、監督に評価されたいと必死に願った。いま思えば悲しいくらいの献身。そのため、苦しみは募るばかりだった。
 高校を卒業し、なぜ高校野球は好きな野球が嫌いになるような封建的な体質なのか? もっと科学的な指導ができないのか? 素朴な疑問がふくらんだ。スポーツライターの道に自然と踏み込んだのは、その答えを見つけたかったからだろう。
 大学二年の春、出会ったのがフリスビーだった。まだ日本に選手がほとんどいない時代、フリスビーに熱中した僕はすぐ日本で一、二を争うプレーヤーになった。日本代表に選ばれ、両国・日大講堂で開かれた「日米フリスビー・チャンピオンシップ」に出場した。その模様は夜、NHKスポーツニュースで放送された。そこで出会ったアメリカ選手たちを頼って、翌春カリフォルニアに渡った。約1ヵ月、チャンピオンたちの家を転々と訪ね、フリスビーの技術だけでなく、彼らのライフスタイルや人生観に触れた。
「イッツ・フォー・ファン!」(楽しむためにやっているんだ!)
 彼らの練習には、根性はかけらもなかった。練習という概念もない。プレー! いい意味の遊びそのもの。だけど僕にはとても着いていけないハードワーク。1時間でも2時間でも、アメリカのプレーヤーたちは走り続け、円盤と戯れ追い続ける。そのエネルギーは“根性”でなく「好きだ」という気持ち、「もっと楽しみたい!」という情熱。僕は激しい衝撃を受けた。
 世界チャンピオンたちは、惜しげも無く自分のテクニックを、日本から一人でやってきた僕に教えてくれた。手取り足取り。そこには、ぎすぎすした競争の息苦しさはなく、ライバルもみな仲間だという大らかで幸せな空気があふれていた。
 そのような経験を日本の野球でする機会はいまも少ない。僕は青春時代、フリスビーで味わった衝撃をその後の人生の糧にしている。だから他の野球の監督とはちょっと違うのかもしれない。相手の素晴らしいプレーに感動する、野球が好きなら当たり前の気持ちだ。ナイスプレー! 思わず声が出て、拍手を贈る。それは優等生的な振る舞いでなく、ごく自然な感覚。

☆この文章は、東京武蔵野シニア球団公式HP「監督コラム」に掲載している原稿です。よろしければそちらもご覧ください。
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栄冠は君に輝く 2017/10/10
《栄冠は君に輝く》、夏の甲子園の大会歌だ。勝利者が校歌を歌う以上に、戦う両チームでもっとこの歌を歌ったらいい。
 歌ってみればすぐわかる。この歌には、本来の高校野球の目的、姿勢が見事に込められ、表現されている。それは中学野球にも、少年野球にも通じる。
 1948年、学制改革で「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に変わった。ちょうど30回の節目も記念して、主催の朝日新聞が全国から歌詞を公募した。この歌詞は、応募総数5252編の中から選ばれた作品だという。だから、作曲の古関裕而は著名だが、作詞の加賀大介を知る人は少ないだろう。
 加賀は故郷の石川県根上町(現・能美市)で執筆活動をしていた文筆家。野球少年だったが、試合中のケガが原因で骨髄炎になり、右足を切断し、野球をあきらめた辛い経験の持ち主だった。
 加賀大介の野球への「永遠の思い」が、この歌に普遍の魂を注ぎ込んだかのように感じる。 
 この歌を声に出して歌うと、いつ歌っても、あふれる涙を抑えることができない。野球ができる喜びを、身体の芯から思い起こすからだ。
 奇しくも、加賀が卒業した能美市立浜小学校から、後に甲子園の星、メジャーリーグの星ともなる松井秀喜が巣立っている。
 僕たち東京武蔵野シニアは、この歌《栄冠は君に輝く》をチームの歌として、先輩を高校に送り出すとき、大切な交流試合のお礼に、また大会に優勝した後にみんなで合唱する。

☆この文章は東京武蔵野シニア球団公式HP「監督コラム」に執筆した原稿です。
東京武蔵野シニアHP新設 2017/10/08
僕が監督を務める東京武蔵野シニア(中学硬式野球)の球団ホームページを新たに開設しました。僕らがどんな思い、どんな目的でチームを創り、運営しているか、表現しました。
作家・スポーツライター小林信也の、大切な創造・表現活動の一環です。ぜひご一読いただき、いいぞ、と思っていただけたら、応援してください。
https://tokyomusashinoseni.wixsite.com/mysite
みにくいアヒルの子 2017/10/07
 二人の子どもを持って、いまの日本がいかに素直に生きづらいか、痛いほど感じるようになった。人と同じに生きる……、世間が正しいとする常識の枠で生きないと、面倒くさい摩擦がたくさん起こる。学校では先生に疎まれ、行動を規制される。集団生活に馴染めない子ども(人間)は、失格者の烙印さえ押されかねない。それが怖くて、あるいは面倒くさくて、それなりに知性のある者はたいてい世間と折り合いをつけて暮らす。折り合いをつける無駄な努力がいかに純粋な感性を鈍らせ、濁らせるかは言うまでも無い。それに耐えられる人はいい。耐えられない人間は、苦しみを抱え、手足の自由を奪われた気持ちに襲われる。
 みにくいアヒルの子。才能があればあるほど、才能をぼんやりとでも感じれば感じるほど、折り合いをつける生き方を受け入れるのは難しい。こうして言葉にすれば、すごく明快のようだけど、多くの子どもは、大人さえも、そんなもどかしさの構造を自分では理解できなくて、ただ自己嫌悪に苦しみ、素直だからこそ、自分をダメな人間だと思い込みがちだ。
 僕は、そんな理不尽が我慢できない。才能ある子どもたち、素直な子どもたちが、秘めた才能を潰され、否定され、ダメ人間だと上から目線で抑えつけられる世の中のどこが自由平等だろう。 
 僕は何としても、みにくいアヒルの子たちを励まし、一人ひとりの素晴らしい才能の存在をそれぞれに伝えたい。どんな才能か、どの分野で伸びるか、それはもっと時間が経たなければ、自覚できない場合がほとんどだ。いずれ、ささやかでも劇的な出会いが訪れて、ある日突然、運命の扉が開くまで待たなければいけない。その日は突然やって来る。そして、みにくいアヒルの子は自分が何者かに気がつくだろう。その日まで、エールを送り続けるのが親の、監督の務めであって、自分のやりやすい支配のため、アヒルだと決めつけ、アヒルらしく生きろと強要するのが教育であっていいはずがない。

☆この文章は、東京武蔵野シニア球団公式HP「監督コラム」に掲載しているものと同じです。よろしければそちらもご覧ください。
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空しさに悩んだ野球少年 2017/10/05
 小中学生のころ、僕のいちばんの悩みは「空しさ」だった。
 時々、言葉に表しようのない脱力感、無力感に襲われ、切なくてたまらなくなる。昨日も今日も明日も見えなくて、生きている時間が止まるというか混乱して、ただ普通に呼吸し、淡々と未来に向かっていく自分が思い描けない。
 胸の奥に広がるその気持ちが「空しい」という言葉で表現されるものらしいと自覚できるまで数年かかった。言葉を知って、少し気分が楽になったが、空しい気持ちに襲われたときのどうしようもなさを、すぐに自分では解消できなかった。
 時々自分の中に沸き起こるその状態を僕は自分だけが持っている「病気に違いない」と感じていた。なぜなら、そんなことを口にする友だちは回りにひとりもいなかったからだ。親も姉も、そんな状態を持っているとは普段の会話で想像できなかった。
 空しさに襲われるのは些細な出来事に直面したときだ。
 夏休み最後の日。今日で休みが終わると思うと、いたたまれなかった。学校が嫌いだったのではない。僕にとって夏休みは、高校教師として働いていた母親と、ずっと一緒に過ごせる貴重な期間だった。また明日から慌ただしい日々が始まると思うと、まだ母親の愛情に飢えていた僕には失望感が広がったのだろう。
 お祭りの夜。屋台で遊び、綿あめやお面など買い、友だちと家路に向かうとき、ふと振り返って神社の境内を見やる。
(灯りに包まれたこの賑やかな風景が明日の朝にはもう消えてなくなっている)
 そう考えると、いたたまれず、胸をかきむしっても収まらない空しさで気持ちが沈んだ。一緒にいる友だちはみな、祭りで手に入れた玩具など持って楽しそうに笑うばかりだった。こんな気持ちで苦しんでいるのは、自分だけなのだろう、僕はこの悩みをずっと誰にも打ち明けることができなかった。
 大人になって、文章を書く仕事を始めて数年経ったころ、ある本を猛烈なスピードで書いているとき、ふと、
(空しさこそが、僕をかきたてているエネルギーなのではないか?)
 空しさが僕にとって貴重な原動力だ、そう気がついた。急に、空しさが自分にとってなくてはならない大切な財産だと感じるようになった。
 そんなことを野球チームの監督コラムに書いているのは、きっと中学生たちは、誰にも言えない悩みをそれぞれ抱えている。野球という肉体が勝負と思われがちな世界ではとくにそういった内面の機微や繊細さは蹴散らされる場合が多い。だけど、野球が好きな少年だって繊細な感情を携えている。
 僕は、空しさに悩んだ少年時代を持つ元野球少年として、子どもたちのそういう気持ちに寄り添って、応援したいと考えている。悩みに直接立ち入ることは自分からしないけれど、監督も同じ仲間だったという無言の雰囲気は子どもたちに伝わると思うし、それが目に見えない信頼関係の底流になると感じて、子どもたちと過ごしている。野球の実績など大したことのない僕がリトルシニアの監督を務めている意義はそこにあると感じている。

※この文章は、東京武蔵野シニア公式HP「監督コラム」に掲載しているものと同じです。よろしければそちらもご覧ください。
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新刊《生きて還る》出版 2017/10/02
 小林信也の新刊が10月5日に全国の書店およびアマゾンなどのネット書店で発売されます。プロ野球で史上二人目の完全試合を達成した武智文雄投手(近鉄パールス)の人生を描く物語です。
 武智文雄(旧姓田中)は、甲子園出場を志し、当時すでに日本一にも輝いていた強豪・岐阜商に進学します。ところが、二年夏の甲子園大会が中止になります。国際情勢が悪化し、日本は戦争へと進む世相にありました。もう野球はできない、文雄は野球をあきらめ、予科練を志願します。時をほぼ同じくして、太平洋戦争に突入します。文雄は神風特攻隊員を経て、桜花特攻隊員となります。爆弾を携えて、敵の戦艦に空から飛び込む決死の任務です。
 国のために命を捨てる。僕らには想像もつかない、苛烈な運命を突きつけられ、文雄は訓練の日々を生きます。出撃命令を受け、死を覚悟して飛び立った日、天候不良で不時着。顔にケガを負いながら、九死に一生を得た。
 文雄は不思議な運命に導かれ、生きて終戦を迎え、故郷に復員します。やがて野球に戻る機会を与えられ、社会人野球からプロ野球に入って活躍します。一度はあきらめた野球が、文雄の手を引いて迎え入れてくれた。いまでいう高校野球の三年間、武智文雄はほとんど野球から離れ、ボールを握っていませんでした。
 私・小林信也は、武智文雄のお嬢さんとの出会いをきっかけに、この物語を書くことになりました。武智文雄の人生をたどり、戦争を、野球を、改めて深く見つめ直す機会をもらった気がします。
 これは、野球と人生と日本社会を描いた物語です。どうぞご購読ください。
《生きて還る 完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄》
集英社インターナショナル刊 1600円+税
必ず花が咲く確信 2017/09/30
 東京武蔵野シニアは、しばらく公式戦の勝利から遠ざかっています。勝ちたいけれど勝てない。悔しい、残念です。だけど、あまり悲観していません。なぜなら、選手ひとりひとりは、「確かに成長している」からです。
 勝ち負けを基準にしたら、勝てなければダメ、「成果がない」となってしまいます。勝てなくても、成長しているか、着実に変化しているかが大切です。
 私たち東京武蔵野シニアは、迷っていません。やるべきことが分かっていますから、やるべきことを重ねるだけです。元々技量の高い選手をそろえた強豪チームと対戦して、負けたからといってダメだと選手を責める必要はありません。負けて当然と言い訳する気もありませんが、力が足りなければ負けるのは必然です。
 ひとりひとりが成長しているか、どのチームの選手にも勝る目覚めや実感を伴って、日々勢いよく過ごしているか、それが重要です。弱くて、山の昇り方のわからないチームは、希望が見えないでしょう。僕らは、山の昇り方を知っています。頂上はまだずっと先だけれど、この階段を昇っていけば、必ず自分たちの行きたい場所に行ける。その確信があるから、悔しいけれど、焦りませんし、落ち込みません。
 僕は雪国で生まれ育ちました。冷たい雨や雪に打たれる冬の桜並木は、まるで枯れ木の行列のようです。知らない外国の人が見たら、希望のない風景だと感じるかもしれません。
 僕たち日本人は知っています。葉を落とし、風雪の中に立つ桜が枯れているのではないと確信しているから、裸になった冬の桜を見ても不安を抱きません。春になれば、桜は必ず満開の花を咲かせ、鮮やかに輝くからです。

(この文章は、東京武蔵野シニア球団公式ホームページ「監督コラム」に掲載されている原稿です。よろしければ、そちらもご覧ください。)https://tokyomusashinoseni.wixsite.com/mysite/blank-3
甲子園の幻 2017/09/29
「甲子園に出たい!」
 それはもう、理屈抜きの憧れです。わが子がもし「高校生になったら、野球部に入って甲子園に出たい」と夢を描く野球少年に育ったら、そして親としてその可能性があると感じたら、できるだけ応援したい、夢を叶えてあげたい、そう願うのは当然でしょう。
 その向こうにプロ野球がありますが、まずは「甲子園」。プロ野球はさらに遠い夢。多くの野球少年やその親にとっては現実的に直視しにくい目標ですが、甲子園は少し身近です。しかも、高校で野球をやるのは、それほど罪はないというか、文武両道、人生を野球に賭けるわけではありませんから、勉強も同時にする、高校野球が終わってから猛勉強する、といった方法でいろんな職業に就いている球児たちがいる。だから、どこか安心感のようなものもあって、「高校で野球に打ち込むこと」を味方しているかもしれません。
 甲子園の熱狂、地方大会の昂奮は理屈抜きに多くの人の心を惹きつけます。でも、その幻、甲子園の呪縛から日本人は逃れるべき時期に来ています。いえ、もっとずっと以前から、そうすべきだったけれど、できないまま野球界はその課題を放置し、直視せずにやってきました。放置というより、意識的にその騒ぎに油を注いで、焚きつけて来ました。なぜなら、甲子園だけは熱狂し続けている、野球人気の衰退がささやかれる中、甲子園だけはそんな不安を忘れさせてくれる、野球人気の砦だからかもしれません。
 しかし、本当に野球を愛する者たちは、そして子どもたちの心と未来を大切に考える大人たちは気づかなければなりません。目を背けてはいけません。実はその「熱狂する甲子園の光と影」こそが、野球人気の衰退を加速させている元凶ではないか、という事実。それは野球界、高野連の問題ではなく、夢中で野球に打ち込む少年とその家族それぞれに深刻な影響を与える、それこそが大きな問題です。
 高校野球の主役は当然、高校生です。ところが、大人たちの「見るスポーツ」になり、高校はこれを学校のプロモーションや生徒獲得の手段に使い、メディアはビジネスの素材として重宝し、大人たちの都合優先で動いてしまっている。そのことの計り知れない弊害を、私たちはそろそろ真剣に机上に乗せ、改革しなければなりません。
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